不憫なこども ~秘密のデート 5
夜空を眺めた晩。
わたし達の街に戻り、
コインパーキングを探した。
線路脇に車を停め、
あの人が、不埒なことを思いついた。
「なあ」
「終電まで、時間あるな」
しばらくの間、濃厚に抱き合ってみた。
車の中というのは、窮屈なものだ。
「ねえ、ここでするのって相当大変だよね」
「そやな」
「趣味が悪い」
「我慢するのも相当ツライもんや」
「可笑しいね」
「我慢してるの」
「もう、限界のニ歩手前や」
そういって、したい気持ちは、週末まで我慢することにした。
「ここじゃあ」
「頭がぶつかるし」
「無駄に体がデカいのも、考えものや」
「抱きしめることに、集中や」
誰も通らない。
薄暗がりの、線路脇。
あの人は、この時間が過ぎることを、怖がった。
もうすぐ、明日になる。
明日は誰にでも、来る。
「これも現実、あれも現実、それも現実、どれも現実」
暗闇の先を見つめながら、
わたしは呟く。
「ああ、どれも現実や」
「いつも」
「手の平からこぼれ落ちる気がして、怖いんや」
「この時間が」
わたしは、
「いつも」
「いつか」
「誰かに、取り戻されるかと思うと」
「怖い」
と言った。
「取り戻される」
視線がハンドルに向くと、
「か」と付け足した。
「取り戻される、か」
「ごめんな」
あの人は、いつも、謝る。
それが、わたしは、嫌いだ。
しかし、それが現実だ。
車を一番安かったパーキングに停めた。
「ここは、月極めに、してくれるんやろか」
「車、持ってこよか、まだ迷っている」
現実では、出来もしないこと。
それでも、大真面目に思案している。
「お小遣いで」
「賄えるの、維持費」
「そうや、それが、問題や」
「電車で」
「いいじゃない」
「行けるところにすれば」
「そやな」
「なあ」
「赤い袋のパン。車やから潰れる心配ないな」
話題を逸らす。
あの人は、
自分の置かれている現状では、
どうにもこうにも身動きが取れないことには、
意図的に話を逸らす。
もう慣れた。
これがベッドの上なら、
わたしを落ち着かせることが、容易くできるけれど。
あの人の部屋の近くに、大きめな公園がある。
鉄棒に、砂場。
ブランコ。
滑り台。
ギッタンバッコン。
それに、ジャングルジム。
公園の定義にぴったりの空間だ。
欠点は、道のように、人が横切ること。
黒い革のバッグを放り投げると、
ジャングルジムの天辺へ登った。
「よく登れるなあ」
わたしは身軽だ。
「入学式の翌日、ここから真下に落ちたの」
「鼻血出したまま、這いずり出てね」
「普通に走って教室に入ったという、伝説がある」
「想像できるなあ」
ぶら下がりながら、また身軽に少し降りた。
あの人の、頭と同じ高さ。
「視界が全然違う」
わたしの頭より、30㎝高い世界。
視界がこんなにも、違うとは、
思わなかった。
見えないものが、見える。
見たくないものも、見えるのか。
「なあ、見えない分は」
「オレが見るから、ええんや」
「ふふ」
少し、笑って飛び降りた。
ハイヒールの、つま先が痛い。
公園で遊ぶには、
不似合いな二人。
滑り台の上に座りピッタリとひっつき合う。
「時間が過ぎるのが怖いのは」
「治った?」
「怖がりなのは、子供の頃からや」
「いつもギリギリの線や」
「生きることも」
「働くことも」
「なにもかも」
「でも、結婚したのは一番乗りじゃん」
と言いたかったけれど、止めた。
「連敗続きのあたしより、イイじゃない」
「今も負け試合か」
「そうかも」
「本当は、どうなんだろう」
「負けたらいけない」
「そう考えることは、疲れちゃうから」
「そういう陳腐なことは、流すことにした」
「ねえ」
「あなたは、わたしを」
「100%満たしてくれないでしょう」
「いつも、半分以上は、違うでしょう」
「だけどね、初めから、負け試合だから」
「余計、攻撃したくなる」
「それで謝る、あなたを見て」
「自分に、言い聞かせる」
「謝る姿が、現実なんだとね」
「これも現実」
「悲しいかな現実」
「すべて現実」
「前を見ろって」
「よいしょ」
立ちあがり、砂をパンパンと払った。
手を大きく広げて、口から出た言葉。
「もうどこかで野垂れ死にしたい」
「通り魔でもいいから」
「誰か」
「殺してくれないかな」
刹那的。
自ら死を選ぶほどの勇気もない。
振り返り、潤んだ目を見つめた。
「毎朝、駅横のビルを見上げるの」
「ここから飛び降りたら」
「でもね、ああ、痛いんだろうな」
「死ぬ前に、空を見上げるなんて」
「悠長なことは、きっと出来ないだろうって」
「富士急ハイランド」
「ジェットコースターより、もっと、怖いんだろうな」
「なあ」
「そんなに苦しいんか」
「そんなに辛いんか」
「オレが原因やね」
「なあ」
「オレ、離れた方が」
「ええんやろうか」
結局、采配は、あの人が握る。
手持ちの駒を、
動かすのは、あの人。
「ばか」
「どうして、そこで、逃げちゃうの」
「結局放り出して、お終い」
「振ってとか」
「振るとか」
「離れてなんて、言っていないでしょう」
「なあ、オレ努力する」
「努力するから」
「お願いや」
「そんな悲しいこと、考えんでくれ」
「お願いや」
「考えんでくれ」
勝ち組の驕り。
冷めた夫婦だけれど、
結局は、世の中の、
驕り高ぶる部類の人達なのだ。
そうして、
驕り高ぶる理由は「こども」
時に「こども」は、
最強の武器になる。
手持ちの駒の中の、最強の武器。
あの人は、
「こども」が不憫でならないのだ。
「あの人の努力」
わたしのためでは無い。
「こども」ため、ということは、お見通しだ。
それにしても、わたしの悪い癖だ。
ナイフを突き付け、選択を迫る。
怯えた相手は、仕方なく、当座の答えを出す。
そろそろわたしの心も、
ネジが緩んできたようだ。
この小さなしあわせも、
ネジが緩めば、脆くも、崩れ去る。
「ねえ、努力してね」
「わたしだけを、見つめて」
「心のネジが、緩んで、落ちてしまわぬように」
「ねえ」
秘密のデートをした晩の、締めくくり。
わたし達は、
気持ちを探り合い、
お互いを傷つけ合い、
落ち込んで、
また、微笑む。
恋というのは、なんて残酷なのだろう。
残酷だから、
止められない。
「なあ、努力する、から」
「離れていかないでくれ」
「なあ」
「頼む」
わたしは、優越感で満たされ、
終電に乗った。
あの人に見送られ。
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