感謝の言葉の使い方
匿名性のあるソーシャルネットワーク。
彼女の「日記」と「つぶやき」は、
すべてに置いて「不平不満」しかない。
わたしより、7つ程年下で、
結婚した時期が一緒だったことと、
「ネコ」と暮らしていることが「おともだち」になった理由。
日々の日常に起こる、様々な出来事。
それらの、一つ一つが、すべて「悲観的」な方向性で綴られる。
彼女の「日記」は。
簡単に言えば「愚痴のはけ口」として、SNSを使うことを
覚えた「孤独な主婦」。
飼い猫の病気。
夫の失業と転職。
実入りが少ないことへの不満。
嫁姑問題。
住宅問題。
実母の問題。
「自分への不満」というよりは「周囲への不平不満」が中心。
けれど、働きに出ても、同僚と勤務先への不平不満が綴られる。
「さて、この人は、何故、こんなに負の考え方しか、できないのだろうか」
「日記に書いて、解決はできているのだろうか」
「解決はできないと思うが、気持ちは晴れるのだろうか」
そうして、意地悪なわたしは思った。
「面倒な女だな」と。
だから、彼女の日記へのカキコミに「率直な感想と、提案と、意見」を書き込んだ。
すると、
「そうですよね」
「でも・・・」
「・・・なんです」
「ありがとうございます」
この「ありがとうございます」が曲者だと、思った。
不平不満を吐き出すことは、
心のバランスを取るためには、
「聴く人」を選んでするべきだと思う。
いわゆる「ガス抜き」
それに、不平不満や愚痴が多くとも、
世の中の大半の大人は、
「この人は、そういう人だから」
「聞き流しておこう」と、対処できる。
夢や願望をたくさん持っている人。
たくさん持っているがゆえに、それに対しての期待も大きい。
けれど「身の丈」にあっていなければ
単なる夢物語に終わる。
「恋愛」と「結婚」が違うものだと気付いた時、
夢や願望の「質」は換わる。
「結婚という契約」をしたときに、夢や願望には、
経済性や、生産性がついて回り、現実を知ることになる。
叶わなくとも、連れ添う人と笑って話せる夢や願望が
「結婚という契約」の中では、「身の丈」にあっている内容なのだ。
叶わなくとも、笑って話せる夢や願望に、途轍もない期待は抱かない。
さて、「おともだち」の話。
彼女の不平不満の源が、なんなのか?
分かったような気がする日記が綴られた。
不妊治療。
彼女は、「普通の女」だった。
それが源。
結婚したのなら、自然に子供ができると信じていたようだ。
そのあたりが、幼い。
子供ができない淋しさを、2匹から5匹まで増えたネコで埋める。
甲斐甲斐しく、愛情をこめて。
自分の体が原因と思い、
したこともない、スポーツをしたり、
好きでもない「健康によい食事」に変えたりと。
「普通の女」だと、取り巻く人々も考えるからこそ、
そう接してくることへの不平不満が、日記に綴られる。
予約を入れたとしても5時間待たされる、
専門の病院で、不妊の原因は夫と判明。
それでも諦めない「普通の女」
彼女の夢と願望は「普通の母親」になることだった。
12月。
顕微鏡の世界に期待をし、
1月。
彼女の人生の中で最高の高揚感を得た。
2月。
一時の気分は、無になった。
さすがに、不平不満は綴られなかったけれど、
人の手により受精できた小さな卵が、
流れてしまったことを、どこか誇らしげに綴っていたこと。
それに対して、共感と慰めの言葉を綴る普通の女達。
そして「ありがとうございます」のコメントは、見当たらなかった。
初めてSNSで観た彼女の「ありのままの姿」だと思った。
不思議な世界になったものだ。
現実の世界であっても、共感し慰めの言葉を綴った女達は、
言葉として「口に出すこと」が出来るのだろうか。
口に出したとして、
「そうですよね」
「でも・・・」
「・・・なんです」
と、返ってきたら、
「ああ、言わなきゃよかった」と思うはず。
暖かな2月の窓辺。
彼女と5匹のネコ達は、
どんな一日を過ごしているのだろう。
負の言葉を吐き出した日記の
コメントをしてくれたという行為に感謝を述べる。
無理をしないで、ありのまま、負の言葉で締めくくれば
楽だろうに。
不平不満は、誰もが聞き流すのと同じように。
感謝の言葉も、乱用しては、本来の意味が無くなる。
本当に感謝すべき時に、使う言葉だと思った。
心をこめて、
本当に、感謝すべき時に。
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